どうにもならないエトセトラ 〜ひぐらしのなく頃に・暇潰し編〜

mongkang2006-06-02

 
 ひぐらしく頃に
 
『本作品は、昭和五十年代の架空の村落・雛見沢村を舞台に、村にまつわる古い因習「綿流し」を軸にして起こる謎の猟奇連続殺人を題材にした連作式のサウンドノベルである。
 
ひぐらしのなく頃に」―「鬼隠し編綿流し編祟殺し編暇潰し編
の四編では物語が同一の時間軸上でパラレルワールド的に展開、様々な角度から謎や手がかりが提示され、プレーヤーは各編を読み進め、または読み比べながら与えられた手がかりを元に事件の真相を推理する。
 
ただし、それぞれのストーリーは何らかの形で結末は迎えるが、謎の解答が示される事はなく、その解答は続編「ひぐらしのなく頃に 解」―「目明し編罪滅し編皆殺し編祭囃し編」にて行われる事となる。
 
本作品の特徴とされるのは、同人ゲームの大多数に見られるような18禁の「アダルト的要素の排除」、
及びサウンドノベルでありながら「ストーリー展開に影響を与える選択肢が存在しない」事である。
 
通常のサウンドノベルでは、シナリオのポイントごとにプレーヤーに対し、いくつかの選択肢を用意しその選択が物語の進行に大きく影響を与える。
しかし、本作品ではそのような選択肢が存在しないため、プレーヤーは最初から最後まで文章を読み進めるのみであり、その意味では通常の小説となんら変わらず、本編にゲーム性が一切無い点からいえば厳密にはゲームであるともいえない。
 
しかし、本作品の最大の特徴は、わざと選択肢を与えず最後まで決まったストーリーとすることで、全てのプレーヤーに事件解決への情報を等しくまた過不足なく与え「プレーヤー自身に物語の謎を推理、想像させる」という形式を用いた事である。
この方式により、全員が同じ情報、同じ条件で意見を述べる事になり、結果上述のようなコミュニティーサイトの盛り上がりを生み出したとされる。』
 
以上、Wikipediaより。
 
『昭和58年初夏。
例年よりも暑さの訪れの早い今年の6月は、
昼にはセミの、夕暮れにはひぐらしの合唱を楽しませてくれた。
××県鹿骨市。県境にある寒村、雛見沢村
人口2千に満たないこの村で。それは毎年起こる。
 
雛見沢村連続怪死事件(昭和54年〜昭和59年)
 
毎年6月の決まった日に、1人が死に、1人が消える怪奇。
昭和53年の巨大ダム計画とその反対運動による闘争から紡がれる死の連鎖。
昭和中期に隠蔽された怪事件が、蘇る。
陰謀か。偶然か。それとも祟りか。』
 
 
暇潰し編の舞台は、メインストーリーである昭和58年初夏の5年前、
昭和53年…最初の怪死事件であるダム工事長バラバラ殺人の1年前、未だダム戦争の真っ只中の事。
主人公は公安の新米捜査官、赤坂衛
 
綿流し編でも少し紹介された、雛見沢巨大ダム計画反対派による「(建設)大臣の孫誘拐事件」
暇潰し編赤坂衛の一人称でそこを中心に展開します。
 
 
…ここまで書いてはたと気が付きました。
どう舞台背景経緯心情その他を説明しようとしてもあらすじを書くしか方法がない事に。
そして「選択肢が存在しない」ゲームの中身を説明する程 愚かしい事もない事に…
 
つまり、プレイ済みの方に向けた記述に特化するしかないのですね。
二兎を追うものはなんとやら。
道理で誰もやってない筈だよ(ニガワラ)
 
えーいごめんなさい。予想以上に激しく顧客限定となってしまいました。
 
 
 
※ 以下感想につきネタばれ&「暇潰し編」に特化した記述となります。未プレイで予定の有る方は注意。
 
 
 
 
梨花
「さっさと東京に帰った方がいい。…でないとひどく後悔することになる。」
と言われ、それでも雛見沢に残り職務を果たした赤坂。
 
その結果、事故で妻を亡くす事になるのだが、果たして誰が帰るという選択肢を選べただろうか。
もし私がこの世界に迷い込んだならば…何回同じ場面に戻ったとしても妻を死なせる結果となるだろう。
梨花の一縷の望みは、永遠に叶えられる事はないのだ。
 
そしてようやくその傷も癒えた昭和60年に。赤坂は真の過ちを知る事となった。
 
大石の
「…彼女は自分の死に対して、誰かにSOSを発しはしなかったんでしょうか。」
という残酷な一言によって。
この時の赤坂の絶望たるやいかに!
 
「もっと生きたい
楽しく、幸せに過ごしたいだけ。」
少女にささやかな願いを託された事を忘れ、いや気付きすらも出来なかった彼の。
 
腹を割かれ、惨い殺され方をした梨花
しかも妻、雪絵の事故死を事前に教えられながら、それに気付けなかったのと全く同じ過ちを繰り返したのだ。
このまま狂ってしまってもおかしくない。
 
しかし…このシナリオにおいて最も救われないのは
「誰か真相を解き明かして下さい…それだけが私達の願いです。」
という、赤坂と大石の最後の望みが『この世界では』絶対に遂げられない事を知らされてしまっている事。
最愛の人と、その恩人となるべき人を殺してしまい、尚且つその贖罪は許されないのだ。
正に『悪魔の脚本』と呼ぶに相応しい。
 
願わくば…せめて「祭囃し編」では赤坂の目もサイコロの「6」が出ることを。
皆殺し編」での期待外れを覆してくれることを。

最後の鍵を開けるのは赤坂衛だと信じて止まない若干1名の為にも。