「ゲーム性」ってなんなんだろね

mongkang2006-09-30

 
やりたい事、書きたい事は山ほど有るのだが時間に乏しい昨今。
キミキスひぐらしFate・マヴラヴ・奴隷市場…手付かず&ヤリかけのゲームが山積していくのをただ見つめるばかりの日々。
 
そんな中で見つけた記事ひとつ。
 
美少女ゲームは『ゲーム』なのか」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0608/30/news096.html
 

美少女ゲームがゲーム性を失ってきている。
プレイヤーはテキストを読み、たまに出てくる選択肢を選ぶだけ。
ゲームよりも小説や映画に近いと言えそうだが、それでも「ゲーム」と呼ばれるのはなぜなのだろうか。

 

学校の教室などが背景。そこに少女の「立ち絵」が入れ替わり立ち替わり現れる。
「プレイヤー」は表示されるシナリオを読んでストーリーを追うだけ──
こんなPC向け美少女ゲームが、1990年代後半からメインストリームとして人気を集めてきた。
これらのゲームには、いわゆる「ゲーム性」がほとんどないにも関わらず、「ゲーム」と呼ばれ、受け入れられている。
それはなぜなのだろうか――
ゲームソフト開発者向けカンファレンス「CESAデベロッパーズカンファレンス 2006」(CEDEC)で、哲学者で批評家の東浩紀さんが分析した。

 

ときめきメモリアル」(1994年)「サクラ大戦」(1996年)など、
コンシューマー機で人気を集めたかつての美少女ゲームは、プレイヤーがキャラクターを操作し、
次の行動を選んで実行するなど、能動的なアクションがストーリー展開を大きく左右した。
 
だが、2000年前後から次々に登場したPC向け美少女ゲームは、プレイ中に必要な操作は最小限。
テレビアニメにもなり、コンシュマー機への移植も決まっている「ひぐらしのなく頃に」(2002年〜)は、選択肢すらほとんどなく、いわゆる「ゲーム性」は皆無に近い。
このタイプのゲームは、チュンソフトサウンドノベルシリーズの影響を受け、1996年に発売されたサウンドノベル美少女ゲーム「雫」(Leaf)の影響によって出現したジャンル。
東さんは「テキスト+立ち絵形インタフェースに依存し、選択肢選択以外のプレイヤー側の自由度をほとんどもたない、シナリオ分岐形恋愛アドベンチャーゲーム
と定義し、「これをゲームと呼ぶならば、ゲームの定義は変わったと言うしかない」と語る。

 
うーんこれはちょっと違うんじゃないかと思う。
ときメモ」「サクラ大戦」は所謂「美少女ゲーム」の中で1ジャンルを構築するまでに至るエポックメイキングな側面を持った作品でした。
ですがそれはゲームにおけるシステム的な革新を多分に含んでおります。
 
東氏の言うところの「PC向け美少女ゲーム」は、実は2000年前後どころか『ロリータⅡ』(1983年・PSK)辺りを皮切りに途切れる事無く流れ続けているのです。
その頃から殆ど変わらないアドべンチャータイプの、テキスト+一枚絵のインターフェースに依存しているのではなく、これが完成形だから発展しない/させないのではないでしょうか。
システムでユーザーの支持を得るか、シナリオで支持を得るかの違いに過ぎないだけであって。
そして後者を支持するユーザーにとって「定番で使い易いインターフェース」は寧ろ望まれるべきものであってもおかしくはない。
 
確かにゲーム性が無いという言い方もあるのでしょうが、ここは敢えて「これもゲーム性のひとつの有り方」であると私は考えます。
サウンドノベル」の名に端的に現れている様にこの類のゲームは、ゲームではなくノベルから派生した「ゲーム」であるのだ、と。
 
 
今回「ひぐらしのなく頃に祭囃し編」をプレイしていてこんな事がありました。
途中で敵役の女性の生い立ちから現在に至る状況が彼女の観点から描かれ、彼女に屈する形で
『あなたはアンインストールしてこのゲームを終わらせる事もできます』
私は屈しました。いや…違うな。彼女の行動を肯定し(ご丁寧にも)アンインストールしました。
鷹野さんみたいな強靭な精神力を持った才媛美女に弄ばれてみたかった…富竹が羨ましい。
 
まあ好奇心には勝てず、再プレイして今度はちゃんとエンディングを観るつもりなのですが。
 
『従来のゲームは、プレイヤーとシステムのインタラクションがゲーム性だったが、美少女ゲームのプレイヤーは、
インタフェースとマルチエンディングというシステムにゲーム性を感じているのでは』
 
という東氏の見解に関しては当らずも遠からず、といったところでしょうか、少なくとも「ひぐらし」をマルチエンディングにしてしまう私にとっては。
でも、プレイヤー側の自由度を殆どもたない ってのは崩れたかな。
故に、ゲームの定義も変わらない。
  
 
最後にもひとつ。
美少女ゲームは『ゲーム』なのか」は「CESAデベロッパーズカンファレンス 2006」(CEDEC
http://cedec.cesa.or.jp/
でのディスカッションを元にした記事の様ですが、同じソースが元でもちょいと視点を変えると
 
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2500554/detail?rd
ファンキー通信】「美少女ゲーム」はゲームじゃない!?
 
こうなって…
 
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/808876.html
痛いニュース
の様になってしまう。
 
『ネット上で書かれている事全てを鵜呑みにするなかれ』の好例なのでこれも一応挙げときます。