落下して死ぬ寸前の人にスローモーション現象は本当に起きているか

 

高いところから墜落している最中の人のように、はっきりと意識がある状態で今まさに生を終えようとしている人は、その一瞬を何時間にも感じるという話がある。
米国の作家アンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク鉄橋での出来事」という短編小説では、首に縄をかけられた主人公が鉄橋から川に投げ落とされ、ほぼ一瞬にして絶命する。
しかし、主人公にとって、その一瞬は一昼夜分に匹敵する。
恐怖体験中の人は時間を長く感じるようになり、スローモーション現象が本当に起きているのか。
それとも後から思い出したときに、記憶がスローモーションとして再生されるだけなのか。
それを明らかにするために、イーグルマン准教授率いる研究チームでは、極めつけの絶叫アトラクションを使った人体実験を実施した。
 
(省略)
 
だが、矛盾している点がある。
被験者たちは落下中には時間の経過を遅く感じていないはずなのに、落下に要した時間を平均して36パーセントも長く報告している。
なぜ、このような矛盾が生じるのか? 
この問いに対するイーグルマン准教授の回答は、“記憶の密度”に違いがあるから、後で思い出したときに実際より時間が長かったように感じてしまう、というものである。

 
記憶の密度。薄々気づいていながらこれだけ明確な言葉で表されると、なるほど と唸るしかない。
 
 
10年程前だったか、出勤途中に思わぬ渋滞に出くわし高速道路に乗った際に事故を起こした事がある。
高速道路といっても北海道のそれは首都高とは比較にならず、朝8時に左車線で100km/h出しても前の車に追突する事もない。
時刻を確認すると、このままではとても間に合いそうもなかった。
スピードを上げて追い越し車線を走行しているうちに突如異変は起こった。
右前輪が何か異物を踏んでバーストしたらしく右に大きく車体が傾き、立て直す為に左にハンドルを切ったところスピンしてしまった。
 
…まずい。このままではガードレールにかなり強くブチ当たる
ブレーキは踏んでるがスピードは思ったほど落ちていない。100km/hくらいまで落ちれば御の字か
路面が少し濡れてきたところで迂闊だったな
えーと、このままだと…2回転半して左フロントから当たりそうだ。即死はないだろう
スピンする前に見た限りでは後続車もいなかったし、巻き込みも避けられそうだ
このスピードで事故れば車はもうダメだろうなあ、あ。当たる。心の準備をして、と。せーの!
 
まずい。 から せーの! までおそらく2秒程度。
覚悟完了していたにも関わらず、衝突と同時に文字通り目の前が真っ暗になり、意識は途絶えた。
生憎『ザ・ワールド』のスタンドは持ち合わせていなかった。
 
そして30分後、救急車で今来た道を戻される途中で
「すいません。どなたか011-XXX-XXXXに電話して、本日出勤出来なくなった旨を話して頂けませんか?」
とだけ言って、再び記憶を失った…らしい。
なんという会社人間。と賞賛してくれる人は残念ながら皆無だった。
 
幸いムチウチだけで済んだが、寧ろ入院していた二週間の間、当時の嫁以外誰一人見舞いに来なかったという事実にダメージを受けた。
車は再利用不可で即廃車。レッカー車の担当者には
「中の人 生きてたんだ? いやーレッカー代取れないかと諦めてたわ」
と言われたが苦笑いする他なかった。金銭的ダメージもかなりのものだった。
 
 
この事故寸前の2秒間は、私にとって最も記憶の密度の高い2秒間だ。
 
 

イーグルマン准教授によれば、恐怖体験中には扁桃体と呼ばれる脳内領域の活性が通常より高くなり、他の脳内領域で処理される通常の記憶に加えて、もう1セットの記憶が生み出される。
これにより、恐怖体験の記憶は、通常より内容が濃くなり密度が高くなる。

 
恐怖体験中にしか扁桃体の活性は高まらないのだろうか、といえばそうでもないらしい。1セットの記憶とやらも もう少しポジティブな方向で働いて欲しいものだ。
もしかして、よく訓練されたオタクの行うこれが、俗に『脳内補完』と呼ばれるものなのではないか、と推測してみる。
 

人は初めて体験したことをほかの出来事や経験よりも、高い密度で記憶する。
年を取るにつれて時間の経過が速く感じられるようになっていくのは、このためだという。
「子供のときは、あらゆる体験から中身の濃い記憶が生まれる。年を取るにつれて、たいがいのことは既に体験済みのこととなり、記憶の中身が薄くなっていく。
ゆえに、子供がある夏の終わりを思い出すとき、その夏は永遠に続いたかのように長く感じる。大人にとっては、あっというまに過ぎ去った夏であっても」
とイーグルマン准教授は述べている。
 
子供のときなら、次から次へと初めてのことを体験する。だから密度の高い記憶が形成される。
ところが同じことを再び体験したときや前と似たようなことを体験したときは、初体験のときより記憶の密度がずっと低くなる。
その繰り返しで、だんだんと時間の経過が速く感じられるようになっていく、というわけである。

 
思い当たる節があるおじさま方も多いだろう。
若い頃に蓄えた無駄知識を食い潰して生きている私の様な者にとっては至極都合の良いシステムではある。
懐古厨とは成るべくして成ったものなのである。
 

74 名無しのひみつ :2007/12/21(金) 01:07:02 ID:6va4znzY
脳もクロック数が上がると、処理速度が向上するのかな
じゃあ、人体実験にあった人なんかはさぞ長い間苦しんだのだろう
 
78 名無しのひみつ :2007/12/21(金) 01:16:57 ID:+FGGq43O
>>74
おれもバイクで飛んでスローを体験してるけど、音の記憶が全然無い。
飛んでる時の回りの光景なんかは鮮明に覚えてるんだけどね。
 
脳がクロック上げる時に音を遮断して集中してるというのは本当な気がする。

 
 
確かに音の記憶は全く無かった。ブレーキ音・衝突音共に相当のものだった筈だが。
故にこの『脳のクロックアップ時には音を遮断して集中している』という仮説は支持したい。
 
 
あと、>>38はもっと評価してやって欲しい。